父に会いたい娘。娘に会えない父親。
二人の乗るタクシーは本州最北端、下北の地へと向かった……。
こまばアゴラ劇場へ行くために、井の頭線に乗っていたときのことである。二十代前半のあやや似の女性と、名前のわからない若手漫才師に似た連れの男性の会話が耳に飛び込んできた。「元カレにさ……」「え? 別れたの? あの相撲取りと」へえ、お相撲さんとつきあってたんだぁ。私の耳はダンボになる。「うん、この前別れた。それはいいんだけどさ、シモキタに行こうって言われたのね」「うん」「いいよって言うじゃん、シモキタぐらい」「うん」「それが、下北だったのよ」「え?」漢字で書いてもわからない。平板アクセントのシモキタじゃなくて、モだけが高くなるシ「モ」キタ。こう書いてもわからない。あ、略さなきゃいいのか。下北沢じゃなくて下北半島。「で、行ったの?」ふつーは行かないだろうと、質問した男に心の中で突っ込みを入れていたら、彼女は、なんと「もちろん」と答えた。もちろんって何? もちろん愛のため? もちろんマグロのため? 本州最北端の下北半島まで? 「でさ、行ったらさ……」下北でいったい何が起こったのか? 何がお相撲さんとあややに別離をもたらしたのか? そもそもお相撲さんは下北出身なのか? 駒場東大前は、渋谷からわずか2駅。後ろ髪を引かれながらホームに下りた私を置いて、電車は無常にも下北沢方面へ出発した。今回はそんなお芝居である、かどうかは定かではないが、コレは実話である。
庵主 2007年2月
「うさぎ庵」とは
「うさぎ庵」は特定の劇団員を持たず、ことばを担当する工藤千夏(青年団演出部)と、さまざまなアーティストがコラボレーションを展開していく場として、03年に演劇活動を開始。以後、劇団青年団の俳優と共にアトリエ春風舎やこまばアゴラ劇場を中心に公演を重ねている。青森では、04年にピアノ・リーディング『円周率の夜』(作・演出:工藤千夏、ピアノ:岡田照幸、朗読:大庭裕介)を東奥はちのへホール、アウガにて上演。05年には『卯の卵』(作・演出:工藤千夏、出演:村川虹子、佐藤誠、森内美由紀)をカフェバー・アトムにて上演。また、劇作家・畑澤聖悟と東奥日報に連載したエッセイをまとめた『アウガで会うが?』(発行:ぷりずむ)を上梓。
うさぎ庵HP http://usagi-an.com工藤千夏 Chinatsu Kudo
ニューヨーク市立大学大学院演劇科修士課程修了。コピーライターとして、朝日広告賞、消費者のためになる広告賞など多数。広告代理店勤務と平行し、92年より青年団に参加、初演「北限の猿」等に出演。演劇活動に専念するために、退社、米国留学を敢行。留学中(2000~2003)に、マック・ウェルマンに師事、劇作を始める。英語による自作の、『D』(2002年6月)、『I can't live without you, but I can't live with you.』(同12月)をニューヨークにてリーディング上演。また、同じく12月には、ニューヨーク市立大学グラデュエイト・センターにて、平田オリザ作『阿房列車』の英語版、日本語オリジナル版のリーディング同時上演を企画、翻訳、演出、出演する。2003年1月より青年団演出部に所属、日本での活動を開始する。