というわけで、こまばアゴラ劇場は今後も存続しますし、民間劇場の強みを生かしながら、より一層、公共性の高い劇場を目指します。
すでに、2018年度後期のラインナップ募集が始まっています。ぜひ、ご検討ください。
http://www.komaba-agora.com/guide/agora2018aw
盟友パスカル・ランベールの記事が、国際交流基金のサイトに載りました。
http://www.wochikochi.jp/special/2017/05/pascal-rambert-Gennevilliers.php
パスカル・ランベールが今年の台北芸術祭で創った新作『GHOSTs』の日本版を、来年春に城崎国際アートセンターで制作、5月にアゴラで上演します。
さて、では、豊岡移転についての連載を始めます。
しっかりした構成があるわけではないので、思いついたところから書いていく形になりますが。
1.城崎国際アートセンター
私が芸術監督を務める城崎国際アートセンター(ときにKIACと表記します)は、今年で開館3年目を迎えます。これまでにも、予想を遙かに超える形で国内外の多くのアーティストに利用していただきましたが、来年度の公募においては23カ国99件の応募がありました。開館三年にして、城崎・豊岡の名前は、一挙に世界へと広まったと実感しています。
果たして利用者がいるかどうか半信半疑でスタートした施設でしたが、パフォーミングアーツに特化したレジデンス機関が国際的に不足しているという分析があたって、最高のスタートを切ることができました。
この間、城崎温泉自体もインバウンドの観光客を爆発的に増やし、外国人観光客数は四年で四十倍を記録しました。この爆発的な増加は、ひとえに城崎の温泉街の皆さんの地道な努力のたまものですが、アートセンターも国際化のシンボルとしての機能を果たしてきたのではないかと自負しています。
私は、埼玉県富士見市のキラリ☆ふじみの芸術監督を退任した時点で、次に地方の公共ホールの芸術監督をお引き受けする際には、劇団の移転の可能性もあると公言してきました。
城崎国際アートセンターは、世界でもトップクラスの理想の創造環境にあり、私自身もアンドロイド版『変身』、『新・冒険王』と国際共同作品の高い成果を上げてきました。これらの滞在制作の経験から、より安定し集中して作品づくりに取り組む環境を望む気持ちがより一層強くなりました。
しかしながら、城崎国際アートセンターは、公募型のレジデンス専用機関であり、実際に応募が殺到しているために、芸術監督であっても、私自身が利用できるのは年に一回程度というのが現状です。城崎国際アートセンター自体が、コンベンションセンターをリニューアルした再利用施設なわけですが、豊岡市内には他にも、リノベーション可能な場所がいくつもあることが分かり、もしもマッチングがうまくいくなら劇団の拠点を移せるのではないかと考えました。
さいわい、地元の方々のご厚意で、まず、倉庫を格安でお借りすることができました。五反田の倉庫機能が限界に来ていたので、まず、これを移転することになり、すでに8月に大きな部分の移転が完了しました。
そして現在、これも多くの方のご厚意で、稽古場、劇団の宿泊滞在施設の候補地を挙げていただいています。順調にいけば、2019年から、徐々に劇団の拠点を豊岡市内に移す計画となっています。
(続く)
日記も極めて大雑把に再開します。
1月26日(木) 台湾が旧正月のため、稽古は休み。東京藝大授業
27日 奈義町の小学校でモデル授業、夜は『幕が上がる』の上映会とトーク
28日 『幕が上がる』上映会とトーク、有安杏果さんと高城れにさんに来ていただき、最高に盛り上がる。
29日 福島県いわき市で藤田貴大君演出の『タイムライン』出演者に向けてワークショップ
30日 藻谷浩介さんと対談、無隣館試験
31日 無隣館試験。劇団の中堅と年代別ミーティング
2月1日 無隣館試験
2日 台湾に戻る 稽古再開
3日 通し稽古 深夜便で再び帰国
4日 ふたば未来学園演劇部、アトリエヘリコプターで公演、私はトークの司会。深夜まで関係者と飲む。
5日 早朝の便で台湾に戻る。稽古
6日 稽古
7日 稽古
8日 稽古 夜の便で帰国
9日 横浜美術館で仮設舞台仕込みのリハーサル
10日 朝の便で台湾に戻る。記者会見と公開リハーサル
11日 稽古 夜の便で帰国
12日 埼玉で音楽療法学会特別講演、劇団の若手と年代別ミーティング
13日 無隣館演出部試験、税務調査、『台北ノート』横浜美術館公演場当たり
14日 無隣館演出部試験、ワークショップ1件、夜『台北ノート』ゲネプロ
15日 無隣館演出部試験、東京大学で委細発掘プロジェクトの生徒対象にワークショップ。午後、赤坂で豊岡市主催のイベントでワークショップと講演会。『台北ノート』初日。
16日 科学技術振興財団面談、北海道新聞取材、『台北ノート』マチネ、ソアレ、そして打ち上げ。終電で帰る。
『台北ノート』横浜公演は、とりあえず大成功に終わる。